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最高裁判所第一小法廷 昭和58年(あ)555号 決定

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人佐藤利雄、同井口多喜男の上告趣意は、憲法三一条違反をいう点を含め、その実質はすべて事実誤認、単なる法令違反の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

なお、被告人がマジックホンと称する電気機器一台を加入電話の回線に取り付けた本件行為につき、たとえ被告人がただ一回通話を試みただけで同機器を取り外した等の事情があったにせよ、それ故に、行為の違法性が否定されるものではないとして、有線電気通信妨害罪、偽計業務妨害罪の成立を認めた原判決の判断は、相当として是認できる。

よって、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、主文のとおり決定する。

この決定は、裁判官大内恒夫の補足意見、裁判官谷口正孝の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官大内恒夫の補足意見は、次のとおりである。

私は、谷口裁判官がその反対意見で、被告人の本件行為は処罰相当性を欠き有線電気通信妨害罪及び偽計業務妨害罪の構成要件該当性がない旨を表明されている点について、私の考えを述べておきたい。

反対意見は、被告人が石原秀博のすすめによりマジックホンを購入したのは、主として同人に対する恩義に報いるという気持から同人の申出を容れたにとどまり、積極的に通話料金の支払いを免れることを意図したものではなく、被告人としては、同機器が石原の説明どおりの性能を有するかどうかを試験するため、これを電話回線に取り付けて一回通話を試み、その効果を確かめた後、直ちにこれを取り外したなどの諸事情を前提として、被告人の本件行為には処罰相当性がないとされる。

しかしながら、マジックホンは、要するに、「電話料金がただになる機械」であり、このような機器を電話回線に取り付けることが許されないことは、国民一般にとって容易に認識しうるところである。しかも、有線電気通信妨害罪及び偽計業務妨害罪は、有線電気通信または業務に対する妨害の結果を発生させるおそれのある行為がなされることによって成立する。そうだとすれば、反対意見がその立論の前提とされる前記諸事情は、仮にそのような事実関係が認められるとしても、これが被告人の本件マジックホン取り付け行為についての処罰相当性を否定すべきものとは到底考えられない。

また、反対意見において引用されている「一厘事件」(大審院明治四三年一〇月一一日判決・刑録一六輯一六二〇頁)、「旅館たばこ買い置き事件」(最高裁昭和三二年三月二八日第一小法廷判決・刑集一一巻三号一二七五頁)等の判例は、あまりにも被害法益が軽微であるため社会に及ぼす害が小さいか、あるいは社会共同生活上、許容されてもよいような行為であり、しかもその情況のもとでは一般人としても犯しかねない零細な反法行為に関するものであって、本件とは全く事案の趣を異にし、先例として適切なものとは思われない。

裁判官谷口正孝の反対意見は、次のとおりである。

一 被告人が本件マジックホンと称する電気機器を使用するにいたった経緯及び本件が発覚するまでの経過は、原判決の認定判示するところ及び証拠によれば、おおむね次のとおりである。

(1) 被告人は、昭和四七、八年ころ、その経営にかかる会社の事務所開設について石原秀博の世話になったことがあったが、昭和五五年一〇月一日ころ、マジックホンを持参し何の前ぶれもなく原判示被告人方会社事務所を訪れた石原から、この機器は加入電話の回線に取り付けると、その電話を受信側とする相手方送信側の通話料金が徴収されない仕組みとなっている旨の説明を受け、その購入方をすすめられた。被告人としては、そのような機器を使用することは法規に触れるのではないかと危惧し、石原にそのことをただしたところ、同人は、弁護士にも相談してみたが法的に問題はないとのことであった、と説明したので、被告人としては、通話料金の支払を免れるのであるから、少なくとも民事上の責任問題を生ずることは考えられるとは思ったが、石原が金に困っているようであり、前に事務所開設のことで同人には迷惑をかけたこともあるので、その清算の意味もあって、同人の申出を容れ、同日、同機器二台を一台当たり七万二〇〇〇円、合計一四万四〇〇〇円で買い受けた。(2) ところが、被告人としては、別に実験したうえ右機器を購入したわけではないので、これが果して石原の説明したとおりの性能を持つものであるかどうかについて多少の疑念をもち、その性能を試してみようと考え、同日ころの午後九時ころ、被告人方会社従業員武井一夫に対し、石原から説明を受けたところを伝え、そのうち一台を自己の経営する会社事務所に設置されている日本電信電話公社の加入電話のうち被告人が私的に使用している一台の回線に取り付け、武井に命じて付近の公衆電話を使い通話を試みた。その結果、被告人は、右事務所設置の電話との間で交信があったのに、武井の使用した公衆電話の方では投入した一〇円硬貨が返戻されてきたことを知り、本件機器を使用すれば石原の説明したとおりの効果のあることを確認したものの、この機器を使用することに果して法律上問題を残さないものかと不安を覚え、翌朝、被告人方会社の顧問弁護士に同機器の使用の可否をただしたところ、同弁護士から「法的規整について正確なことは判らないが使用しない方がよい。」との教示があったので、直ちにこれを取り外し、他の未使用の一台と共に会社事務所内のロッカーに蔵置し、その後、この機器を使用したことはなかった。(3) 当時、神奈川県警察本部刑事部所属の警察官は、有線電気通信法違反、偽計業務妨害罪の嫌疑で前記石原秀博に対する捜査を進めていたところ、石原の取調べにより同人が被告人に対し、同機器を販売した事実が判明したため、同年一一月二一日同本部所属の重野寛警部補外一名の警察官が被告人方会社事務所に赴き、石原に対する右被疑事実の裏付捜査を行った。その際、重野らは、被告人及び被告人方会社の顧問弁護士に対し、石原の右被疑事件の捜査に協力するよう要請し、「本当に許せないのはマジックホンを製造したり販売したりした者である。それらの者を検挙処罰するため是非捜査に協力して貰いたい。」旨の発言を交えながら、被告人に対しその購入の経緯等について説明を求め、その際、被告人から同人が購入した同機器二台の任意提出を受け、これを領置するとともに、被告人から同機器一台を電話回線に取り付け試用した旨の供述を得たので、被告人に対し本件の立件をするにいたった。

二 以上の事実関係を踏まえてみると、先ず、被告人としては、同機器の取締りに当たっている警察官の捜査に協力し、被告人が関与した事実を進んで告知したのに、被告人が犯人として起訴され、処罰を受けることに対し重大な抵抗感があるようである。確かに、本件被告人の所為が犯罪を構成するとしても、本件を起訴にまで持ち込んだ検察官の措置には疑問がないわけではない。然し、本件捜査が警察官による偽計、約束等による適正を欠くものであったことは記録上認められないばかりでなく、被告人は前記の如く顧問弁護士立会いのうえで、進んで本件機器使用の事実を警察官に対し申し述べているのであるから、被告人の心情に理解をよせる余地があるとしても、ここで捜査手続の違法を論ずることはできない。

三 そこで、弁護人が上告趣意で指摘する被告人の本件所為は可罰的違法性を欠き無罪であるとの論旨について検討する。論旨も第一審判決も、本件捜査手続に被告人を網するところがあった、という点をあげて被告人の本件所為は罰すべきでない、というのであるが、捜査手続の適否については既に見たとおりである。然しながら、いわゆる零細な反法行為については、大審院明治四三年一〇月一一日判決・刑録一六輯一六二〇頁が「共同生活上ノ観念ニ於テ刑罰ノ制裁ノ下ニ法律ノ保護ヲ要求スヘキ法益ノ侵害ト認メサル以上ハ之ニ臨ムニ刑罰法ヲ以テシ刑罰ノ制裁ヲ加フルノ必要ナク(中略)共同生活ニ危害ヲ及ホササル零細ナル不法行為ヲ不問ニ付スルハ(中略)解釈法ノ原理ニ合スルモノトス」と判示して以来、同じ思想の下に、いずれもたばこ専売法違反罪に問われた、たばこ五本不法所持事件あるいは旅館たばこ買い置き事件について最高裁判所はいずれも結論において無罪に帰する判断をしている(前者について最高裁判所昭和三〇年一一月一一日第二小法廷判決・刑集九巻一二号二四二〇頁、後者について同昭和三二年三月二八日第一小法廷判決・刑集一一巻三号一二七五頁参照)。これらの判例の解釈としては、違法性及び責任性が極めて低いと認められる場合に刑法全体の精神からして超法規的に違法性が阻却されるとか、あるいは「構成要件」は処罰に値するとして類型化された一定の法益侵害・危険を生じさせる特定の行為の型であり、このような意味において違法行為の類型を示したものであるから、処罰に値しないと認められる行為はもともと刑罰法規の定めた構成要件に該当しないとか、いろいろな理論づけがなされている。もちろん、可罰的違法性の概念が判断基準として明確性を欠くとの非難は免れないとしても、違法性及び責任性が極めて低いという判断は裁判所として当然可能であり、また判断すべきことである。そして、その判断の結果、被告人の行為について違法性・責任性が極めて低い場合、被告人の当該行為について処罰に値しないとして無罪の裁判をすることは、よしそれが限られた場合にせよ、刑事事件の終局的な判断者として裁判所の法政策的権能に属するものと考えてよいであろう。

このような観点から被告人の本件所為を検討してみると、被告人としては本件機器が果して石原の言うような性能のあるものかどうかを試験するため、これを電話回線に取り付け使用し、唯一回公衆電話を利用して一通話分の通信をさせただけであり、試験の結果その効果が判明した後は、顧問弁護士とも相談のうえ、その取り付けた一台を取り外し、未使用の一台と共にこれをロッカーの中に蔵置しておいたもので、これを取り外すまでの間、同機器を取り付けた電話に対し交信のあった形跡は認められないこと、被告人が本件機器を購入した経緯については先に述べたとおりであって、積極的に通話料金の支払いを免れることを意図したものでなく(被告人が検察官に述べているように、沖縄にある取引先から被告人方会社宛の電話による通話料金を免れるため本件機器を購入したというのであれば、その取引先に対して何らかの連絡等の行動があって然るべきであるのに、そのような行動のあったことを窺うに足りる証拠もない。そしてまた、被告人において営業上の必要経費として納税に際し当然控除されるべき通話料金を本件機器を使用して免れることにどれ程の利益があったのかも検察官調書上明らかにされていない。)、石原に対する恩義上の気持ちから同人の申出を受け容れ購入したに留まること、被告人としては本件機器を使用するについて違法性の意識の可能性があったことは否定できないとしても、積極的に違法性の認識をもちながら法敵対的意識のもとに敢えて本件行為に及んだものとはとうてい認められないこと、以上の諸事情を考えれば本件被告人の行為の違法性及び責任性は極めて低いものと考えてよい。もっとも、本件機器がかなり高価なものであり、しかも、被告人がこれを二台も購入していることを重視して被告人の刑責を軽くみることは許されないという反対論もあろう。多数意見も同じ見解に立つもののようである。然し、二台購入するということは、本件機器の機能から考えてむしろ通常のことであり、値段が嵩むということも被告人の購入の動機を考えればあながち不自然なことではなく、仮りに被告人の隠された内心の意図がどうであったにせよ、それは単なる憶測に留まることであり、評価の対象となるのは現実に外部に現われた被告人の行為であり、その行為に対する違法性・責任性の面から加えられる価値判断こそが被告人の本件行為を処罰に値するものとみるかどうかの要点である。

以上述べたとおりであって、私は被告人の本件所為は、昭和五九年法律第八七号改正前の有線電気通信法二一条、刑法二三三条に当たる罪を構成するものとしては、処罰相当性を欠き右各罪の構成要件該当性がないものと考える。多数意見に賛成することを躊躇するゆえんである。

私見によれば、被告人に対して無罪の言渡をした第一審判決は結論において相当であり、原判決には法令違反の事由があるものとしてこれを破棄し、検察官の控訴を棄却すべきものと考える。

(裁判長裁判官 角田禮次郎 裁判官 谷口正孝 裁判官 高島益郎 裁判官 大内恒夫)

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